1984年(昭和59年)4月 | 潟Cンテック入社 | まわりが保険、証券、銀行などに就職する中で、まだまだマイナーだったコンピュータ会社に就職。「どうせ遅かれ早かれコンピュータ時代が来る。その時に勉強するよりも最初からプロでやっておけばつぶしも利くだろう」と語る。 システム開発4年、営業4年を経験 全国を飛び回り様々な体験を積む。特に、長野県は第2のふるさと。 主に医療、福祉、健診のシステム開発、コンサルタント、保守を中心に活動。 |
1992年(平成4年)3月 | 30歳で退社 | 「これからはベンチャー、SOHOの時代。自分の実力を試す時がきた。」 その後雇われ社長で1年半程度すごす。 |
1994年(平成6年)2月 | 潟Iーシーシー21設立 | お金がないため親類、知人、友人など21人の株主で1000万を集め会社設立。2月1日設立、21世紀へ向けての語呂合わせでオープンシステム、コンピューター、コンサルタントの頭文字「OCC」と21で社名に。 医療、福祉、健診を基本に、販売管理、在庫管理、生産管理など業種業態を問わないでシステムコンサルタント営業からシステム開発、システム保守を行う。 |
2002年(平成10年)10月 | 潟Aルスコミュニケーションズ取締役就任 | 医療向けシステムを専門に行う。ソリューション提供、システムインテグレーション、保守、システム開発 |
2006年(平成18年)4月 | 対等合併し、代表取締役退任 |